2016年9月7日 (水曜日)
時計コラム(1)美術品という目線からの時計

ここ最近、高級機械式時計を販売する上でうたい文句となっているフレーズがあります。

 

「アートな時計」

 

某有名百貨店のウォッチフェアでも、今年のテーマは「時の芸術」。

 

実は、私はとても嬉しくなりました。

 

なぜ嬉しくなったのか。

 

そのお話しをする前に、少々、ステラ・ポラーレと私のことをお話ししましょう。

 

 

 

私がギャラリーを開設するにあたり、さまざまな独立時計師の方とお会いし、工房を訪ね、いろいろなお話をさせてもらいましたが、独立時計師たちの共通する希望は自分たちの作品を「美術作品」として扱ってもらいたい、という点でした。

 

もちろん、ムーブメント開発もデザインも自由にできる独立時計師は、自らの美的感覚に正直に時計を造ります。

 

まさに、美術を生み出す「アーティスト」であり、各国のバイヤーたちもそのように認識はしています。

 

しかし、実際には、「時計は時計」というのが現実でした。

 

 

私は約8年ほど、美術の世界に身を置き、世界中の美術品を見て参りました。

 

もちろん、8年という期間はそう長い期間ではありません。

 

しかし、ご縁があって様々な美術品の厳選されたコレクションをこの目で見ることができ、一時期は専門家として、とある小さな私設美術館の館長もさせて頂きました。

 

一方、時計に関する知識は?

 

残念ながら私自身の時計知識は極めて限定的です。

 

だからこそ、時計の良さをまず「美術品目線」で見るのです。

 

それから、専門知識に基づいた説明で時計としての機能を把握します。

 

美術品目線でのブランドや作品の選定というのは、過去なかなか無かったことなのだそうです。

 

それもそのはずです。

 

独立時計師は時計界の中でもかなりマニアックな分野として君臨しています。

 

時計を知り尽くした方々が、行きつく領域です。

 

それを飛び越えての、別目線からのアプローチでしたが、彼らが本当に目指すものと一致し、このような出会いが生まれたのです。

 

いま、各高級時計ブランドが「美術品として」というコンセプトでアプローチし始めたことは、時計という分野が美術・芸術に通ずるということが、広く世界に認められたことだと思っています。

 

だから嬉しいのです。

 

そして美術はさらに深まり、哲学へとつながります。

 

そして哲学は天文学へ広がります。

 

時計師たちがなぜ自分たちの作品を美術作品であるというのか。

 

その本当の意味の理解へ通ずる、果てしなく深い世界へ

 

みなさまをご案内できることをとてもうれしく思うのです。